映画「清作の妻」(1965年・大映)
2011年09月20日 (火) | 編集 |


清作の妻 [DVD]

(あらすじ)
日露戦争前夜、一家の生計を支えるため、お兼(若尾文子)は60を超えた老人に囲われるが、まもなくして老人は財産の1000円をお兼に遺して他界。
大金を手に入れ、お兼の母は上機嫌で村に戻るが、村人たちの目は冷ややかで、お兼は物憂い日々を過ごす。
そんな中、彼女は実直な模範青年・清作(田村高廣)と相思相愛になり、周囲の反対を押しのけて結婚するが…。


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(感想など)
忘れたころにやってくる、若尾文子様祭り(笑)。

増村保造監督作品。
この監督の作品はほんと好きだわ・・・・と思う今日このごろ。
終始重苦しい雰囲気が漂います。

文たん演じるお兼、娘なのに老人に囲われ、老人が死して遺産が入りますが、
囲われること自体が彼女にとっては地獄の心持であったため、
遺産が入ったからというて、老人が死んだからというて心は解放されてません。

老人が死んだと時を同じくして彼女の父も他界し、
村に帰って死にたいと願う母親の願いで、お兼と母は村に帰る
(あの遺産で借金を返せたことを嬉々としている母親も何とも・・・・)

しかし、村では「あばずれ女」として蔑まされ村八分。
そんな村に対して、お兼も心を開かずに家に引きこもります。

そんなお兼の前に現れたのは、田村高廣さん演じる清作。
彼は村では(戦争のさなかなので)お国のためによく働く模範的青年として表彰されるくらいの人です。
模範青年であるがゆえに、お兼の母が亡くなったときも、
関わりあいになりたくない村人とは逆に、同じ村の住人だからとお兼の母の葬式の段取りをしてくれます。
半ば厭世的になっていたお兼と模範生の清作。
村では正反対に見られていた二人が、魅かれあうのには時間がかかりませんでした。

周囲の反対を押し切って、清作はお兼と結婚します(籍は入れてなかったようだが)
お兼も引きこもりから一転、清作と畑でよく働きました。
(それで村の人がお兼に心を開いてくれたわけではなかったのですが)
それでも二人は幸せでしたが、清作に召集令状がきます。
彼と離れたくないお兼。でも耐えてその時は送り出しました。

半年後、彼は怪我をして帰ってきますが、「模範青年」ということになんだかこだわってるらしー清作は、
模範であることを「是(ぜ)」と強く思っているので、
怪我が治って帰ってくるなりまた戦地へ行くといいます。
お兼にしちゃ、彼が生きていてこそなんぼなのに、
周囲の男達も今度こそ立派に戦死してこいだの、色々言うし、
清作も行くのがつとめと思っているため、
お兼の心はどんどん追いつめられていきます・・・・
そして、そんな気持ちが張り詰めたお兼がとった行動は・・・・!
(以下略)


ほろりと泣かせられた映画で、実はいい人しか出てこない映画っていうのは何本か見たことありますけれども、
この映画、逆なんですよね。
一見、お兼がとった行動はキ○ガイじみているかもしれません。
しかし本当におかしいのは、あまりに閉鎖的な村であることがラスト付近でくっきりと浮かび上がってきます。
彼女の生い立ちは、自ら望んだものではないのに、あばずれと蔑まされ、
村の男達はお兼の「色」にニヤニヤし、女は嫉妬、
でも汚いものでも扱うように村八分・・・・・村の閉鎖性とドロドロした人間模様、
お兼にとっては行き場の無いところに、清作の出現は砂漠に注がれた一滴の水であったのかもしれません。
清作も、ラスト近くでお兼にあんなことをされて恨みかけたけれども、
その真意を悟った時の、お兼と清作のある種の清涼感は、
村と村の人々と対極的であります。

終始陰鬱な雰囲気がただようこの映画で、あのラスト。
文たんの美しさの中に泥臭さのある演技といい、田村高廣さんの演じる清作の、落ちていく中で実は解放されていくラストへ向かっての演技といい素晴らしかったですが、
なんつっても監督の、人の心を映し出し方が毎度うまいにゃ~と感じる熊猫屋です。
喜劇でも、こういう映画でも、青春ものでも、
人間の隅にある・・・得に「暗(いろいろ種類はありますが)」の部分を引き出すのが秀逸だなと感じる熊猫屋でした。
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テーマ:邦画
ジャンル:映画
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