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 橋蔵さん徒然帖 其のニ
2008年06月15日 (日) | 編集 |
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↑「三人吉三」のお嬢吉三

いいなと思う役者さんがいると、その方の基となったバックボーンに興味が出てくる方なもので、
橋蔵さんの場合は、多大なる影響を受けたといわれる養父で踊りの神様、六代目 尾上菊五郎丈に関する本などを現在読んでみたりしてます。
(本を読むほどに六代目の凄さを感じているとこです。
それにしても六代目の「鏡獅子」の写真を見ると写真だけでも素人目だし、歌舞伎さっぱしな私ですが、「うわ~」って思うくらいオーラを感じますです)。

特に六代目が昭和二十二年に上梓した「藝」(改造社)という本はほんとに面白い。
俳優学校を作って自ら校長にもなったことがある六代目。
培った芸を惜しみなく若い役者にも教えていらしたそうですが、
この本にもいっぱい書いてありました(というかそれがメイン)。

役ごとにどう表現するのか(型など)結構細かく書いてあるわ、時には図解してあるわ、
歌舞伎が分かるともっと面白いだろうなぁ・…と、
遅まきながら歌舞伎に興味が沸いてきます。
(地方在住なので生はなかなか何度もは難しいですが、テレビでこの本に出てくる演目を放送したらよく見てみたいですね^^)。
芸に対する心構えや、伝承について、また六代目が創設した「日本俳優学校」のことについてなど、
興味深い話も満載。
六代目は自分のこと以上に歌舞伎界全体のことを考えていらしたのかなぁ・…と、
育成にも熱心だった八面六臂のご活躍に感嘆します。
(本は当時の旧仮名遣いでありつつも、六代目の文体が読みやすく、親切に書かれてるなぁ・…という印象でした)。

橋蔵さんも、時代劇の所作などよく分からない役者さんには惜しげも無く教えてあげてたそうですが、
そういうところも、橋蔵さんのお人柄はもちろん、六代目の影響もあるのかしら?
とうすぼんやり思ったりしました。

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あ、先日書いた歌舞伎雑誌のことですが、
丁度東映と契約して映画に出始めた頃のようです。
(昭和31年6月発行の「梨園」という雑誌)。
その年の2月の東横ホールでの舞台が映画に当分いる前のお別れの舞台ということで、
(・…とこの頃はまだ完全に映画移るお気持ちでなかったと思われる口調)
「因果小僧」のおその、「柿右衛門」のお通、「御所五郎蔵」の皐月、
「汐汲」などを演じられたようです
(主にお相手は三代目河原崎権十郎丈)。

六代目や養母の寺島千代さんなどと食卓を囲んだ写真もあったりしたのですが、
(昭和二十三年の夏らしい)
橋蔵さん曰く、六代目と一緒に写した写真は殆どないそうで、貴重なものだとか。

ん~東映だけでなく、歌舞伎役者さんにも野球チームってあったのか(笑)。

10歳の橋蔵さんと、今年亡くなられた林成年さんが遊具の木馬に乗ってる可愛い写真など、
色々あってちょっと掘り出し物でした。
(それにしても歌舞伎時代の橋蔵さんの女形姿は、楚々として可憐な雰囲気で、
派手ではないが華やぎがある雰囲気ですね^^いや、ほんとに綺麗)
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東千代之介さんが最初から舞踊志向ではなかったのはちょっと意外でした。
お師匠である六代目板東蓑助丈に
「何とかしてお芝居に出して下さい」とせがんでいたそうです。
で、千代之介さんが映画に入ったとき、蓑助さんが
「これで俺も芝居に出してくれとせめられずに済む、安心した」
とおっしゃったとか。

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